絵描き 中谷 泰

2016年5月 6日 (金)

展覧会のご案内

ミュージアム コレクションⅠ
アーティスト・コロニー・セタガヤ-「白と黒の会」、「砧人会」、「自由が丘文化人会」
2016年4月9日(土)-7月10日(日) 世田谷美術館 2階展示室

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-出品作品-

<白と黒の会>

中谷 泰 「母と子」 他1点・・・/佐藤忠良/船越保武/牛島憲之/森 芳雄/向井潤吉/・・・他

<自由が丘文化人会>

福田豊四郎「水辺」 他1点・・・/宮本三郎/・・・他

<砧人会>

富本憲吉 「染付一枝用湯呑」 他3点・・・/伊原宇三郎/・・・他


*** 展覧会は終了しました ***

2015年4月 9日 (木)

展覧会のお知らせ

第92回 春陽展=4 / 15 (水)-4 / 27 (月) 国立新美術館

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<表>
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<裏>

講演会:毛利伊知郎 氏(三重県立美術館館長)

「中谷泰の芸術」

4月19日(日) 14:00~15:30 国立新美術館3F講堂

入場無料

詳細はこちらから⇒(講演会は終了しました)

<展覧会は終了しました>

2015年2月19日 (木)

四方山話

野見山暁治先生の「アトリエ日記」(清流出版)を読みはじめたら、もう、どうにも止まらなくなってしまい、続けて「アトリエ日記 続」を読んでいたら・・・

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『11月19日(2007年)
「美術本の一隅」(酒井忠康)という新聞の書評が、ファックスで、みゆき画廊から届く。たまたまタクシーの中での中谷泰氏とぼくとの会話を、掛け合い漫才のように面白かった、と記してある。
「中谷氏が、そういえば、野見山君の絵はジュウタンのようだねと、いう」
これは、空飛ぶジュウタンの意。中谷さんはぼくの描くモロモロが地面に着いていないといって口惜しがる。優しい皮肉屋だった。』

「アトリエ日記  続 」 野見山暁治 著 清流出版 (228頁~229頁)より

・・・私の父のことが記されていたので・・・思わずニンマリしてしまった。

・・・そう云えば父が芸大にお世話になっていた(1971年-1977年  美術学部教授)頃、世田谷の実家の晩餐会に、時々顔を出すと・・・(絵が描けない私はその頃、父の意に背いて一介のサラリーマンになっていた)・・・
 
・・・教室のこと、学生さんのこと、教授会のこと、そして野見山先生と親しくさせて頂いていること・・・など、旨そうに酒を呑みながら、いかにも楽しそうに話すことがあった・・・

・・・こんなことなら、あの時、もっといろいろ根掘り葉掘り、聞いておけば良かったな・・・仕事がうまくいって機嫌が良い時の「父の四方山話」はすこぶる愉快であった。

2013年11月 3日 (日)

ビックリ!

父は芸術家のくせに「絵描き以外の世界」には余り関心がなかったようだ。

例えばクラシック音楽で「知っている」と言えばベートーヴェンの「運命/第九」ぐらいと思い込んでいた。

私が中学の頃、ある日、チャイコフスキーの「序曲 1812年」を自分の部屋で、ちょっと大きめな音で聴いていた。いつもなら、「音が大きい。静かにしろ!」と怒鳴られるところであったが・・・違った?!

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・・・どうやら「ナポレオン率いるフランス軍と立ち向かうロシア軍との戦争絵巻」・・・ロシア正教の聖歌VSフランス国歌「ラ・マルセーズ」の交差、大砲の轟音、クライマックスはロシア軍の勝利を祝う教会の鐘の音と祝砲の連発・・・「なんとも云えないスペクタクルなワクワク感」が堪らないんだとか・・・若い頃に多分、トルストイの「戦争と平和」でも読んだのか・・・「1812年だろう。これなら俺も知っている」・・・と言いながら、最後まで聴いて「スッキリした顔」でアトリエに戻って行った。

(演奏=ネーメ・ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団・合唱団)

ジャイアンツ

父は大の「ジャイアンツ贔屓」であった。仕事に余裕が出来てからは、野球中継が始まればテレビであった。

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・・・勝っていれば、もちろん酒も飯も旨いから、すこぶる機嫌が良い・・・「逆転サヨナラ」ともなれば、満面「ざまあ見ろ!」の破顔状態で、意気揚々と自分の寝室に引き上げて行く・・・一緒に観ている私たちも・・・「すごい!」とか「ヤッタ~!」とか云いながら、「ああ~良かった」と一安心するのである。

・・・しかし逆の場合は「大変」である・・・仮にも私がウッカリ「今日はヤバイかも・・・」なぞと呟こうものなら・・・「やっぱり○○は駄目な奴だ・・・面白くない!・・もう寝る!」となり、収拾不能となる・・・

さて、熱戦が続く「今年の日本シリーズ」・・・父がテレビを観ていたら、果たしてどんな・・・?

2013年10月22日 (火)

新幹線の話

今回初めて東京→名古屋間の往復で新幹線の「車椅子対応車両」(11号車)を利用した。

利用の2日前までに最寄り駅で必要書類に乗車日時、人数、発着駅、etcを記入し、申し込む・・・(オンラインでないため、数時間調整待ち、別途連絡あり)・・・空きがあれば切符購入OKとなる・・・つまり二度手間なのである。

・・・さて当日、新幹線乗り場に行くと「車椅子利用者や介助者用の待合室」で時間まで待機・・・駅員の介助・誘導でエレベーターに乗り、到着ホームで再度待機・・・やがて「多目的室=個室(2名まで)」へ案内され、出発となる。

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ベットにもなる座席。カミサン曰く「横にはなれるが、乗り心地はイマイチ」・・・私は車椅子に乗ったまま行くことに・・・

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閉めてしまうとノックしない限り、音が聞こえない。弁当や飲み物は前もって買うべし!

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向かい側にある「多目的トイレ」・・・比較的広めで、使いやすい。

・・・名古屋から鳥羽までは在来線の「JR伊勢線」を利用・・・5号車が「車椅子対応」(ボックス席の片側を折りたたみ、車椅子を折りたたみ収納し、利用者は座席に移動・・・通路の向かい側に「多目的トイレ」有り)


今回の道中(10月8日出発-10月13日帰京)で、JRの対応は問い合わせ、乗り継ぎ、案内、誘導に亘って、とても親切丁寧かつ迅速であった。(終)

2013年10月20日 (日)

展覧会の話

いよいよ『展覧会』・・・である。(津に移動←泊りは鳥羽)

11日は『オープニング・セレモニー』・・・来賓多数。現地合流の妹と共に紹介される。
毛利伊知郎館長の心温かい挨拶・・・内覧会・・・レセプション・・・立派に展示された父の作品に感慨無量。開催までの関係各位の熱意とご協力に改めて心から感謝申し上げたい。
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12日は『初日 / 午後から「父中谷泰の思い出」と題して毛利館長と対談 

・父から聞いた若い頃のこと / 木村荘八先生、岡鹿之助先生のこと/ 父の一日・・・(妹も同席)
エピソードを交え、聴きに来て頂いたお客様の質問にもお答えする・・・1時間ほど語り合う。
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終了後は再び、田中さんの案内で「資料閲覧室」 / 「柳原義達記念館」などを見学、館内を一巡。

(尚、館長の毛利伊知郎氏、学芸員の田中善明氏には2日間に亘り、ご多忙の中、私達のために格別のご配慮を戴いた。感謝の気持ちで一杯である。)


『歿後20年 中谷泰展』 三重県立美術館=10月12日(土)~12月8日(日)
終了しました。

2013年10月19日 (土)

墓参りの話

10日は『父の墓参り』に・・・松阪までタクシーで移動(泊りは鳥羽)

本居宣長の墓もある・・・樹敬寺へ・・・Img_0168

墓前に『展覧会開催の報告』をする・・・いつも墓守りをしてくれている本家に立ち寄る・・・娘達の大きくなったのに驚かれる・・・相変わらずの不義理を詫びる。

途中で、松阪銘菓「老伴」を買う。Oinotomo82

夕食も・・・やっぱり、松阪牛・・・


2013年10月16日 (水)

伊勢神宮の話

さて、珍道中の一行は8日に鳥羽入りして、翌日の「伊勢神宮参拝」に備えた。翌日は朝から「台風の影響」で、天気が悪かったが予定を変える訳にも行かず、「参拝決行」と決め、タクシーで「内宮」へ向かった。途中で娘達が「猿田彦神社」にも寄りたいと云う・・・縁結びの神であるから良いだろう・・・という事になってタクシーに待っててもらい、「お願い」をした・・・果たして効果の程は?
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・・・いよいよ内宮へ・・・私もカミサンも障害者という事で衛視の方から、それぞれ「介助者運転用の電動車椅子」に乗り換えるように云われる。(自走不可)・・・娘達がそれぞれ押すことになった。楽チン・楽チン・・・
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途中で雨に降られたりしながら、『天照大神御札』を買ったり、ご利益の有りそうな、いい香りがする大木を撫でたりしながら、目的の『「正宮殿』下まで辿り着く。
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娘達は勿論、上まで行ったが、何と無謀にもカミサンまで酸素ボンベを引き摺りながら、上って行ったのである。
私は呆然と下から『無事をひたすら神様に祈る』しかなかった。

・・・車椅子トイレは比較的きれいで、使いやすかった・・・

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『赤福』では当然、赤福を堪能した・・・台風の余波もあり、参拝を躊躇したが、人の親切も感じられて良かったと思う一日であった。

 

2013年10月15日 (火)

タクシーの話

今回は私の父の展覧会『歿後20年 中谷泰』(三重県立美術館=津市)を観に行くのが目的なので鳥羽に宿泊先を定めて・・・伊勢神宮参拝・・・墓参り(松阪)・・・を車椅子使用の私を含め、家族4人でタクシー移動(往復)
せざるを得なった。車椅子をトランクに積むので「中型車」を頼んだが、何とか収まる場合とフタが閉まらない場合があった。運転手のワザにもよったが、皆、イヤナ顔一つせず、かなりの長距離を快く運んでくれた。

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写真のタクシーは帰りの東京駅から、たまたま乗ったタクシーであるが、座席が回転して乗り易かった。運転手曰く、『お年寄りや障害者の方のことを考えれば、もっとこう云う車種を増やすべきなんですよ』と力説していた。 (チェッカーキャブ無線協同組合=月島自動車交通株式会社)
車椅子の積み方も「スッポリ!」・・・上手いものだ・・・見ていたカミサンが云うから間違いない・・・「ちょっと頭を使いますがね」・・・なかなかのヴェテランであるらしい。

・・・話が後ろからになったが・・・?次回は・・・「伊勢神宮の話」

中谷泰記念館

  • 水浴(1942)
    中谷 泰=なかたに たい(1909-1993) 三重県松阪市生まれ。1929年上京。川端画学校に入学。石膏デッサンを始める。1930年 第8回春陽展「街かど」で初入選。1942年 第5回文展(後の日展)「水浴」で特選。以後、木村荘八に師事。1959年 第5回日本国際美術展「陶土」で優秀賞受賞。1971年-1977年 東京藝術大学美術学部教授を勤める。1975年 第2回椿会(資生堂)に「春雪」を出品、以後毎年出品。 1987年 「開館記念-世田谷美術展」(世田谷美術館)に「段丘」を出品。 第64回春陽展に「残雪」出品。 銀座東邦アートギャラリーで「自選展」開催。 1988年 三重県立美術館「中谷泰展」開催。 松坂屋本店「個展」開催。 1993年 第70回春陽展に「村の往還」を出品。 同年 5月31日 死去。 享年84歳。  この間、フランス、イタリア、スペイン、中国、ベトナム等を訪れる。  いわさきちひろ記念財団初代理事長  2010年3月13日-3月22日 第50回松阪市美術展覧会特別記念展 「宇田荻邨と中谷泰展」開催(松阪市文化財センター)  2013年10月12日-12月8日 「歿後20年 中谷泰展」開催 (三重県立美術館)

街中コレクション

  • つまずきそうになったカラス
    アートなど

私のお気に入り

  • クレンペラーのベートーベン!
    本/CD/DVDなど

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