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2009年8月19日 (水)

カミナリ・オヤジ

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父は絵描きであったから、東京に台風が近づくと、当然のように風雨の激しい中、自らX印に板切れをアトリエの窓や戸に打ちつけて、「自分の仕事場と作品」を守ったのである。

当然、テレビ・ラジオの情報にかじりついて聴いている。その内、停電となり、ロウソクの世界となる。イナビカリとともに雷鳴も轟くようになると---。そのような時、「ステテコ姿のいつもの父」が豹変してしまう。

まるで小さな子供のように、座布団を頭にかぶり、耳をふさぎ、恐怖から逃れるように身体を丸めてしまう。

子どもながら、おかしく見えた。灯りも点いて、「行ったか?」と聞くので「うん」と応えると「よし!」と云ってのそのそ立ち上がり、アトリエに戻って行った。

何とも不思議な光景であった。

今にして想えば、自然の音と光が戦場に幾度となく駆り出された父の「トラウマと重なってしまう絶対的体験」だったのだろうと思う。

ときどき、一緒に風呂に入った。臀部の片側に肉のえぐれたような傷跡があった。

父は自慢げに「弾がかすめたんだ。」と云った。

作品:「病児と母親」(1952) 宇田荻邨と中谷泰 展 図録

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絵描き 中谷 泰」カテゴリの記事

コメント

ちひろ美術館の松本由理子です。
12月にちひろ美術館まで足をお運びくださり、
ありがとうございます。
その際、ブログを教えていただきながら、
拝読するのが、こんな時期になってしまい、申し訳ございません。
あの日お聞きしたお話、反芻するような気持ちで、
お父様に関しての思い出を綴られた文章を、読み続けました。
なんだか、心が温かくなり、
中谷先生ご一家の、あるがままの姿を垣間見させていただいたようで、とっても、幸せなひとときを過すことができました。

私が芸大に入った年が1971年。
学部も違い、直接、当時はお目にかかる機会がなかったことが、とっても残念です。
ちひろ美術館設立時からご相談にのっていただき、
会合でご一緒させていただいたときも、
いつも、もの静かで、穏やかで、
当時20代の私たちに対しても、
とても丁寧に対応してくださいました。
なんて、謙虚な方なのだろうと、
お人柄に深く心を打たれておりました。
そんな先生の、ご家庭での素顔に接することができ、
また、当時の時代を実感させてくださる文章に、
感謝!感謝!です。

これからも、ふっと思い出された先生の思い出、
ご家族の思い出、書いていただけると嬉しいなと思います。
どんなことでも、先生を思い出すきっかけをいただける気がして。
それから、私が見たことがない絵を見れたのも、
とっても素敵なことでした。

どうか、これからも、よろしくお願いいたします。

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中谷泰記念館

  • 水浴(1942)
    中谷 泰=なかたに たい(1909-1993) 三重県松阪市生まれ。1929年上京。川端画学校に入学。石膏デッサンを始める。1930年 第8回春陽展「街かど」で初入選。1942年 第5回文展(後の日展)「水浴」で特選。以後、木村荘八に師事。1959年 第5回日本国際美術展「陶土」で優秀賞受賞。1971年-1977年 東京藝術大学美術学部教授を勤める。1975年 第2回椿会(資生堂)に「春雪」を出品、以後毎年出品。 1987年 「開館記念-世田谷美術展」(世田谷美術館)に「段丘」を出品。 第64回春陽展に「残雪」出品。 銀座東邦アートギャラリーで「自選展」開催。 1988年 三重県立美術館「中谷泰展」開催。 松坂屋本店「個展」開催。 1993年 第70回春陽展に「村の往還」を出品。 同年 5月31日 死去。 享年84歳。  この間、フランス、イタリア、スペイン、中国、ベトナム等を訪れる。  いわさきちひろ記念財団初代理事長  2010年3月13日-3月22日 第50回松阪市美術展覧会特別記念展 「宇田荻邨と中谷泰展」開催(松阪市文化財センター)  2013年10月12日-12月8日 「歿後20年 中谷泰展」開催 (三重県立美術館)

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